村下孝蔵さんの【挽歌】に聴く「選択」の重み。歌詞の意味や世界観を解説・鑑賞
今回取り上げる「挽歌」は特に難解です。
村下孝蔵さん好きな方々の間では人気曲の部類だと思いますけれど、よく歌詞を聴き込んでいくとどういう状況なのかつかみにくい面があります。
そのまま聴けばいいのだ、理解しようとせずそのまま味わえば!
もちろんその通りですし、おそらく皆様それぞれに受け止め方があると思いますが、管理人もひとつの試みとしてここに解説と鑑賞を行ってまいります!
- 参考:村下孝蔵さん楽曲解説特集🎸
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(⇒村下孝蔵さん楽曲解説・歌詞解題についての詳しい「考え方」はこちら)
ご興味のある方は、以下の記事もお楽しみいただけるはずと自負しておりますので、お時間のあるときにどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
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村下孝蔵さんの【挽歌】に聴く「選択」の重み。歌詞の意味や世界観を解説・鑑賞(解説楽曲例:ロマンスカー、だめですか、いいなずけ、北斗七星、夢からさめたらなど)
管理人なりに全力で取り組みましたので、皆様が村下さんの楽曲を別な視点から楽しむ参考になることだけは請け合いです☆
下部に歌詞全文を用意しましたので、適宜ご利用くださいね。
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“挽歌”
(特殊なサムネイルですが、アップ主さんの設定したものです。
遷移せずこの場で再生できます▶)
いつまでも 海を見ている
後姿の影ひとつ
解題
まるで音楽が涙を流しているかのような、いかにも重々しいピアノと背景のメロディから開始する本楽曲。
いったいこの曲で歌われる人物に何が起こったのだろうかと、聴く側が心配になってしまいさえしそうです。
基本的な場面設定としては、村下さんが得意とした「結ばれることのなかった」男女の関係を描いたものといえるでしょう。
難解ですが、女性が自身の想いを表現しているとみてもよいですし、女性の姿を見つめることを通して男性が現在の想いを語っているとみることもできそうです。
難破した小舟のような女性
季節の推測できる表現はみられませんが、おそらく夏を過ぎて秋が到来する直前の時期なのではないかと感じます。
人間のことなどさておく波の音が低く変わらず響いている浜辺で、宵闇の訪れる時間であるにもかかわらず「いつまでも」答えを返してくれない「海を見ている」黒くかすんだ「後姿の影」が「ひとつ」ぽつりと浮かんでいます。
流されて 波にきらわれ
打ち上げられた 舟のようだね
耳を麻痺させる波音は、かつての男性との心の通ったふれあいの日々へと女性の想いを向かわせます。
女性と男性は互いに信じられないほど深く愛し合ってしまいました。まさか出逢うとは思いもよらなかった相手と、すべてを捨ててそのままどこかへ「流されて」しまいたいという気持ちになったのも不思議ではありません。
しかし、どういう事情か二人の関係は立ち行くものではなく、それぞれの想いや社会的な条件など多くの障害によって結ばれることが不可能だったのですね。
はっきりとはしませんが、やはり一般的にいう「不倫」の関係にあった二人なのでしょうか。
そのようすはまるで自由な海原へ漕ぎ出そうとしたにもかかわらず、無慈悲な「波にきらわれ 打ち上げられた」細く壊れた「舟のよう」でした。
暗くなっていく浜辺でくずおれそうな女性の姿も、ちょうど海の大きさと激しさを見誤って難破した小舟のようです。
まわれまわれ 沈むことなく
風は必ずやむものと信じて
まわれまわれ とまることなく
疲れた翼をふるわせて
安息の寝床へ帰る途中なのか、欲しいものを求めて探しているのか、鳥たちが海上を円を描いて飛んでいる光景が目に入ります。
鳥たちは海風にまかれているようにも見え、女性(あるいはそれを見つめる立ち位置の男性)はこれまでの二人の関係、ひいてはお互いに対して呼びかけます。
「まわれまわれ」このまま悲しみのうちに「沈むことなく」、無力への口惜しさや運命への悲嘆の「風は必ずやむものと信じて」。
「まわれまわれ」別れ別れになったからといって、このまま自分の歩みを終え立ち「と[ど]まることなく」この世を渡るのに「疲れた翼を」ともに癒すようにいつまでも「ふるわせて」。
望まない別れに際して、お互いに苦悩しながらエールを送るような印象もありますね。
決してやり直せない二人
この道にゆくあてはない
寂しくてまた酔いしれる
引き返し やり直したい
やがて寒さに 倒れる前に
女性(あるいはそれを客観的に見つめる男性)は、浜辺で、自室で、酒場で、自分のいる場所でひとりごちます。
二人が進んできた「この道にゆくあてはない」ことはもはやはっきりしているから、どうしようもなく「寂しくて」あの頃のことを嫌でも思い出しながら「また酔いしれる」日々だ。
できることなら、これほどに愛し合える二人が出逢う前まで「引き返し」、二人のこの関係のために数々の用意をして「やり直したい」。
このままでは「やがて」お互い未来のないかかわりに凍え「寒さに 倒れ」てしまうだろう。
その「前に」もう一度やり直して、今度こそ真に愛し合う二人で生きてゆくことができたなら……。
歌え歌え 愛した人よ この影を
ふりむかせておくれ
歌え歌え 涙流して
遠くで挽歌がきこえる
けれど、その願いが叶うことがないのは二人ともよく理解しています。
したがって、愛し合った者同士永遠に「歌え歌え」、この上なく「愛した人よ」二人の愛がここに存在したことを鳴り響かせて、海の藻屑と消えようとしている「この影を」何度でも「ふりむかせておくれ」。
いつまでも「歌え歌え」、離れていても二人にだけ感じられる熱い「涙流して」。
浜辺でひとつの黒い影が闇とまぎれて見えなくなる頃、「遠くで」二人の愛を送り出す「挽歌がきこえ」てきます。
愛する人との未来がない自分自身の死を悼むように、二人はそれぞれの場所で歌い続けるのです。
かつて中国で死者の棺を引(挽)く際に歌をうたったことから、人の死を悲しみ悼む歌のこと。
自分の選択を受け止めていく
まわれまわれ とまることなく
疲れた翼をふるわせて
いまや女性も男性も、挽歌を乗せ冷たく吹き付ける海風にまかれています。
その風はこれからも、どこにいたとしてもついて回ることでしょう。なぜなら、二人はこの道を選ぶ以外になかったからです。
選択をともに引き受けて「まわれまわれ」、別な場所で別なことをし、別な気持ちを抱えていても「とまることなく」、この世間を渡るのに「疲れた翼をふるわせて」これからも飛び続けるのだ。
その後二人の人物がどうなったのかを知る者はいません。
人が誰しも自分の選択や決断を自分で受け止めながら、それに伴う種々の事柄と向き合っていく過程を、恋愛の側面から写し取った名作といえるでしょう。
聴きどころ
「まわれまわれ」と歌う村下さんの声の震え具合が見事です。ビブラートまでも感情表現に用いる技ですね。
もしかすると村下さんご自身にも呼びかける部分があったのかもしれません。
また、エンディングで遠ざかっていくようなキーボードの音も楽曲の世界感を上手に表しています。
耳に聞こえているということは自分のための「挽歌」ではないはずですが、まるで自分が送り出されていくような気持にもさせるメロディです。
管理人の感想(あとがき)
個人的に、村下さんを知ってから早い段階でお気に入りになった曲でした。
あの「初恋」と同時期に発表された作品ですから、村下さんの幅の広さも垣間見えるところですね。
なかなかジャンル分けの難しい曲が多いのも村下孝蔵殿の特徴じゃな。
今回解題を試みて、本楽曲は代表曲「ゆうこ」に近いイメージで制作されたのではないかとも感じました。
愛ゆえに引き離されたとか、愛ゆえに心を閉ざしたとか、なんと村下ワールドは悲しく、しかし優しいことでしょう……。
まとめ
今回は村下孝蔵さんの悲恋曲「挽歌」を解説してまいりました。ぜひ皆様もご自分なりの解釈で楽しんでみてくださいね☆
他の楽曲解説もご覧になりたい方は、歌詞全文下部↓のリンクへどうぞ。(直近の解説楽曲は「風のたより」でした)
挽歌【歌詞全文】
いつまでも 海を見ている 後姿の影ひとつ 流されて 波にきらわれ 打ち上げられた 舟のようだね まわれまわれ 沈むことなく 風は必ずやむものと信じて まわれまわれ とまることなく 疲れた翼をふるわせて この道にゆくあてはない 寂しくてまた酔いしれる 引き返し やり直したい やがて寒さに 倒れる前に 歌え歌え 愛した人よ この影を ふりむかせておくれ 歌え歌え 涙流して 遠くで挽歌がきこえる まわれまわれ とまることなく 疲れた翼をふるわせて
(作詞・作曲:村下孝蔵 編曲:水谷公生ー1983年8月25日)
関連記事ーその他楽曲解説など
ここまでお読みくださってありがとうございました!
村下孝蔵さんには他にも素敵な楽曲がたくさんあります。
当サイトでこれまで取り上げた楽曲を改めて掲げておきますので、お時間のあるときにぜひ遊びにいらしてくださいね
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