村下孝蔵さんの【浜辺にて】歌詞の意味や世界観を徹底解説&鑑賞
村下孝蔵さんを昔からご存知の方も、新たに出会った方も、ようこそいらっしゃいました!
本記事では10thシングルA面「ねがい」、順番を変更してのパワフル曲「午前零時」(アルバム『何処へ』所収)に引き続いて、同アルバム所収の「浜辺にて」を解説・鑑賞してまいります。
- 参考:村下孝蔵さん楽曲解説特集🎸
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(⇒村下孝蔵さん楽曲解説・歌詞解題についての詳しい「考え方」はこちら)
ご興味のある方は、以下の記事もお楽しみいただけるはずと自負しておりますので、お時間のあるときにどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
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村下孝蔵さんの【浜辺にて】歌詞の意味や世界観を徹底解説&鑑賞(解説楽曲例:ロマンスカー、だめですか、いいなずけ、北斗七星、夢からさめたらなど)
もちろん個人的な解釈であり、味わい方ですので、皆様が村下さんの楽曲を鑑賞する際のひとつの参考となれたならば幸いです。
それでは、早速「浜辺にて」の解説に入っていきましょう!
下部に歌詞全文を用意しましたので、適宜ご利用くださいね。
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さざ波押し寄せてはまた
消してゆく二人の名前
解題
実際の波音が背後に聞こえつつ、村下さんにはこう感じられるのかと思わせるピアノのメロディが美しいイントロです。
楽曲の着想を得るために旅をすることもあったという村下さんですから、本楽曲もどこかの海岸で思いついたものなのかもしれません。
基本的な場面設定としては、愛する人とお別れした女性が『浜辺にて』一人佇んで、来し方行く末に思いを馳せているというところでしょうか。
おそらく愛していた男性と一緒に訪れたことがある浜で、女性は白く輝く泡を巻き込んで「さざ波」が当時と変わらず「押し寄せては」、想い出を振り返って砂に書いた相合傘を「また消してゆく」のを見つめます。
何度書いても「二人の名前」が押し消されていく様子は、まるで実際の二人の関係を表しているかとも思えました。
潮風心の糸まで
もつらせて切ってゆくのか
海のにおいを運ぶ「潮風」が、長い間立ち尽くす女性の頬をしっとりとさせていきます。
これまで愛する男性のことだけを想って撚り続けてきた「心の糸まで」、吹き付ける風が行く先を曇らせ「もつらせて」、穏やかに「切ってゆくのか」と思えます。
全体から明確には読み取れませんが、恋愛関係や婚姻関係が終了したということにとどまらず、男性が先に亡くなった状況が想定されているのかもしれません。
*暮れなずむ浜辺に一人
沖を行く舟を数えて
このままどこまで歩いたら
貴方を忘れられるのか
二人で過ごした日々を思い返していれば、ともに生活したその時間と同じように、時が経つことなどあっという間でした。
いつの間にか「暮れなずむ浜辺に一人」佇む女性は、夕陽を受けぼうっと黒い影だけを見せる「沖を行く舟を数えて」知らず知らず歩いています。
自分がどれだけ歩こうと、沖の船はほとんど位置を変えず、あるいはわずかずつ遠ざかっているように見えます。
あの船が沖へ消えていくのと同様に「このままどこまで歩いたら」と女性は考えます、新しい一歩を踏み出せるほどに「貴方を忘れられるのか」……。
何もかもが崩れてゆく
惑う心押さえて(管理人注:「抑えて」?)
二人笑う写真焼いて
想い出 海に流し
舟を見つめる女性が踏んでいる砂浜は波に濡れて固いはずですが、かえって女性自身の心の中にある「何もかもが」跡形もなく「崩れてゆく」かのようです。
そんな自分の気持ちの変化に「惑う心」を「押さえて」、女性はポシェットから数枚の写真を取り出します。
いつの日かの「二人」が心の底から「笑う」顔の映ったその「写真」を、枯れた流木のそばに添えて女性は「焼いて」しまいます。
男性を今でも心から愛する気持ちと、だからこそ自分もしっかりと生きていくのだという思いが交錯する中で、女性はこの上なく美しい「想い出」を写真の燃える煙と一緒に大きな「海に流し」ていきます。
漁火遠く一つ二つ 家路を急ぐ子供達
満潮 素足に冷たくて
波間に深く沈みたい
砂浜が終わる辺りまで女性は歩き続けてきました。
夕暮れも深まり、ぼんやりと「漁火」が「遠く一つ二つ」灯るのと反対側の丘では、待つ人のいる「家路を急ぐ子供達」のはしゃいだ声が響いています。
対照的に、流し去った二人の想い出を包んで迫る「満ち潮」が女性の「素足に」はひどく「冷たくて」、いっそのことその想い出があふれた「波間に深く沈みたい」。
どれほどこのように思っても、女性は自分の身体が一つここに立ったまま存在することを思い知らされるのです。
壊れた船に石を投げて
馬鹿ねとつぶやいてみても
空しさだけが通り過ぎて
大きくため息つくだけ
浜辺の端には岩場があり、いつか男性と眺めた「壊れた船」が放置されています。
この船に向かって「石を投げて 馬鹿ねと」女性が「つぶやいてみても」、かつて同じように無邪気に振る舞った男性からの返事があるはずもなく「空しさだけが」心の中を「通り過ぎて」いきました。
石が船のあらわになった木板に跳ね返る音はすぐ止んで、波と潮風の音だけが鳴り響きます。
女性はどうすることもできず「大きくため息」を「つくだけ」でした。
茜雲かすかに残り 泣いてるような波の音
把んだ乾いた砂は また静かにこぼれ落ちてゆく
気付けばずっと向こうの空に「茜雲」が消えかかって「かすかに残り」、すべてが黒く染まる夜の訪れを悲しんで「泣いてるような波の音」が続いています。
ふと「把んだ」足元の「乾いた砂は」、男性への想いが胸からあふれるのと同じように、浜辺を訪れてから流し続けていた涙と同じように「また静かにこぼれ落ちてゆく」のでした。
とめどなく落ちる涙
今夜限り涸らして
明日からまたいつも通り
静かに生きてみせる
何度ぬぐっても「とめどなく落ちる涙」は、女性の頬を濡らし続け、乾いた砂を湿らせてしまうほどです。
女性はさざ波も見えなくなりつつある暗い浜辺で決意します。
この涙を「今夜限り涸らして」二人の日々に整理をつけて「明日からまた」男性と出会う前はずっとそうしてきたように「いつも通り」、一人「静かに生きてみせる」。
けれど、女性の心には今日『浜辺にて』触れた時間が消えることなく刻み込まれ「*くりかえし」思い出されることでしょう。
それが幸せなのか不幸なのか、女性はこれから見出していくことになります。
真実の愛と出会った女性が突如それを失った姿を、海辺という風物豊かな景色の中で情緒的に表現した名曲ですね。
聴きどころ
最初でも触れましたが、さざ波を表現する(と個人的に思っています)ピアノのメロディに大変センスを感じますね。
村下さんの歌唱がやわらかで切なげで、楽曲の雰囲気とよくマッチしています。
よく聴いてみると演歌のテイストもありそうなほどいかにもなエフェクトが使われているようにも思えますけど、それでも演歌にならないところがまた村下さんの曲の面白さです。
(Spotifyなどでは関連楽曲に演歌が表示されたりもしますが笑)
管理人の感想(あとがき)
管理人も沖合に忘れてきてしまっていましたが、振り返れば確か本楽曲は市販の譜面通りに弾けるようになったのでした。
やはり最初のメロディが全体の調子を決定づけていて、その部分だけ何度も弾いた覚えがありますね。
傷心の女性が浜辺で写真を燃やすなど、映画でも出てこないような「いかにも感」のある楽曲だけれど、奥行きのある心情描写があって飽きずに聴いていました。
皆様もぜひ、ご自身なりの解釈で「浜辺にて」を味わってくださいね☆
浜辺にて【歌詞全文】
さざ波押し寄せてはまた 消してゆく二人の名前 潮風心の糸まで もつらせて切ってゆくのか *暮れなずむ浜辺に一人 沖を行く舟を数えて このままどこまで歩いたら 貴方を忘れられるのか 何もかもが崩れてゆく 惑う心押さえて(管理人注:「抑えて」?) 二人笑う写真焼いて 想い出 海に流し 漁火遠く一つ二つ 家路を急ぐ子供達 満潮 素足に冷たくて 波間に深く沈みたい 壊れた船に石を投げて 馬鹿ねとつぶやいてみても 空しさだけが通り過ぎて 大きくため息つくだけ 茜雲かすかに残り 泣いてるような波の音 把んだ乾いた砂は また静かにこぼれ落ちてゆく とめどなく落ちる涙 今夜限り涸らして 明日からまたいつも通り 静かに生きてみせる *くりかえし
(作詞・作曲:村下孝蔵 編曲:水谷公生ー1981年4月21日)
関連記事ー楽曲解説など
ここまでお読みくださってありがとうございました!
村下孝蔵さんには他にも素敵な楽曲がたくさんあります。
当サイトでこれまで取り上げた楽曲を改めて掲げておきますので、お時間のあるときにぜひ遊びにいらしてくださいね
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