村下孝蔵とは何者だったのか
この記事では村下孝蔵さんがどんな人物だったのか、どこに魅力があるのかを個人的に深掘りしてみようと思います。
村下さんと出逢ってまだ日の浅い方には何か参考になることがあるかもしれません。
長年のファンの方は、ぜひご自身の感じるものと同じ部分や違う部分などを楽しんでいただければと思います。
他にもこういうところが魅力だ! というコメントもお待ちしていますし、掲示板でもたくさん語ってくださいね~☆
村下孝蔵:人物や性格
村下孝蔵ホームページ
熊本県出身、好きなアイスは「しろくま」。焼酎は芋「白波」。レトルトカレーはマルシェ。
……などなど、村下孝蔵ホームページには楽しい情報やエピソードが残っています。
少し前まで、ソニーミュージックのHPへ統合されて閲覧することができませんでしたが、アーカイブとしてインターネット上に保存されたようです。(Internet Archive)
<村下孝蔵さん略歴>ー村下孝蔵HPより
1953年 2月28日、熊本県に生まれる
生家が映画館を経営していたため、映画の影響でギターに魅せられる
九州を離れ広島にてピアノの調律師をする傍ら、自主製作アルバムのレコーディングをする
1979年 CBSソニーオーディションにて最優秀アーティストに選ばれる
1980年 「月あかり」でデビュー
1982年 「ゆうこ」大ヒット
1983年 「初恋」・「踊り子」大ヒット
以降七夕コンサートを筆頭に地道なコンサートツアーを続け、年一枚のペースでアルバムを発表
1989年 「ソネット」
1991年 「アキナ」大ヒット
大ヒットを経て、他アーティスト(裕木奈江など)への楽曲提供(「りんごでもいっしょに」)を行うなど、作家としての力も発揮、「平成の歌謡曲」をめざし意欲的に制作活動を行う。
1999年 6月20日七夕コンサートリハーサル中に倒れ、6月24日(木曜日)午前11時27分、高血圧性脳内出血のため死去。
何が魅力なのか
熊本県に生まれ、広島フォーク村で腕を磨き、ピアノ調律の仕事をしながら流しで居酒屋を回ったり、アマチュアとしてコンサートをおこなったり……。
加山雄三さんが大好きで、幼い頃にはお手製のエレキギターを抱えて鏡の前で悦に入ったり……。
焼酎の好みは「白波」で、プロになってからは各地で「牛タン」、「はらこ飯」や「北海しゃぶ」など、
と語る様子も見せていました。
歌唱のやわらかさ
以上は半分冗談ですが、村下孝蔵さんの魅力のひとつは、その歌唱のやわらかさです。
楽曲のキーも相当に高いところで歌われていて、男声でこの高さながら広々とふくよかに歌い上げることは、村下さんでなければなかなか難しいのではないかと感じます。
いわゆる「ポップス」や「ロック」、曲調についていえば「バラード」といった分類がしにくいのも村下孝蔵さんの特徴なのですけれど、どんな楽曲でもやわらかに感情も含めつつ表現できる歌唱は見事です。
ギターの腕
(外部へ遷移しません。▶すぐに演奏が流れます)
もうひとつ、村下孝蔵さんといえばギターの腕前が注目されます。
上に掲げた動画をぜひご覧いただきたいのですが、ここで披露される「午前零時」という楽曲は、村下さん一人(あるいはもう一人、経田康さんというギター担当の方もいらっしゃるとも)だけでおこなわれたとされる伝説の演奏です。
本当に並みではないので、ぜひ、ぜひご覧ください☆
「ギターを持った方が歌唱のレベルも上がる」といわれる村下さん全盛期の映像です。
ファンの間でよく語られることに「弦を押さえる左手が踊っている」というものもあります。
ギター演奏、歌唱、身体の動きがすべて一体となって表現が生まれている点は、村下さんが真のアーティストであることを示していると思います。
見た目およびトークのギャップ
ところが、村下さんはこの歌唱力、ギターの技術を持っていながら、その外見はふつうの「部長」なのです。(上掲「午前零時」の動画など、完全に仕事帰りですね。)
それも今回ご紹介する「初恋」という自身最大のヒット曲を飛ばした直後の「踊り子」(⇒解説記事へ)で、急遽「部長」になるという転身をみせました。
当時を知る人の中には、いきなり変化して置いて行かれた感じがした……などの感想を持った方もいらっしゃいますね。
さらに、ライブで曲の演奏を終えた瞬間に合間のトークへ移り、そのトークは歌声とちがってとても軽快でポップな感じなので、このギャップに「まるで他に司会者がいるようだ」とも受け止められます。
これらの点が相まって村下さんの魅力を形成しているのだと思っています。
つまり、歌唱やギターの腕だけを取り出しても足りず、村下孝蔵という人物を全体として味わうことによってこそ、その魅力の真価を感じ取ることができるのです。
このことは、村下さんに限らず他のアーティストさんでも同じでしょうし、ひいては私たち自身が自分の道を歩んでいく上でもいえることだと感じています。
管理人による肖像
その他Wikipediaにも村下孝蔵さんに関する情報は多く載っていますから、ここではもう少し管理人自身の視点で村下アニキの人物を語ってみたいと思います。
まじめさと真剣さ
第一に感じることは、とてもまじめで真剣な人物だということです。
たとえば歌詞に英語を使わないことにしていたという話は有名ですが、さらによく聴いてみると、漢語もあまり使われておらず、できるだけ和語を使って曲作りがなされています。
「幸福」でなく「幸せ」、「落葉」でなく「落ち葉」など。
歌の題名には漢語が使われているものももちろんありますが、こうした徹底ぶりは村下さんの性格をよく表しているように思えます。
深いまなざし
また、後期の楽曲を聴いていると見えてくることなのですが、村下さんはどこか遠く深いものに目を向けていたのではないかと感じます。
以下のランキングでもトップに挙げた2曲などは、そうした深みを極限まで見つめたものといえるかもしれません。
その意味では、人知れぬ考察や悩みを誰とも共有できず抱えていたのではないかとも思われてなりません。
まったくの勝手な推察ですが、このような村下さんの性質が稀代の歌人の夭折につながった部分もあるのではないでしょうか。
恥ずかしがり屋なお茶目さん
一方で、ライブ映像などを見ても、アニキはけっこう恥ずかしがり屋さんのようです。
初めて作った楽曲『夜空のアンジェラ』を演奏するときなど、観客席を見上げながらニヤッと恥ずかしそうな表情を見せていました。
まとめ
以上、村下孝蔵さんの簡単な経歴や魅力、管理人なりの人物像などをお伝えしてきました。
ここでひとつ心にとめて置かなければならないことは、当記事で述べたことも、村下さんと身近だったどなたかが語ることも、メディアや雑誌の情報も、すべて村下さんご本人(の表れ)ではないということです。
いまおこなわれている村下さんに関する営為は全部私たちが持つイメージのなせる業であり、それは最高度にすばらしいものだと思いますけれど、村下さんそのものを表現することはできません。
村下さんという人物は、彼が生きた一コマ一コマのことじゃから、外野である我々がいくら言葉や行動を尽くしても彼自身を描くことはできないのだな。
これは我々自身にも、どんな名の知れたアーティストにも、名もなくこの世を去る人にもいえることじゃぞ。
だからこそ、私たちは村下さんの作品や映像、言葉などを大切に受け止めなければならないのでしょう。
そしてそれは私たちが自分自身を大切に生きることに通じるものと考えています。(⇒当サイトのコンセプト)